2011年12月、実家の1階をプチリフォームしました。床がかなり傷んでいたことと、父が肝ガンで余命がいくばくもないと感じていたので、最後のお正月を綺麗になった家で迎えてほしかったからです。その時、リフォームの廃材と共に箪笥や工業用ミシンなど、素人では処分に困るものを2トントラックに積み込み廃棄しました。それが、私の親の介護とお金の問題のスタート地点でした。
2012年春、母との同居生活が始まる
父は「綺麗になってようなったなぁ」と喜んでから2ヶ月ほどして調子を崩し入院。そのまま病院で桜が散るのを見送って人生の幕を閉じました。
母は、四十九日を過ぎるのをまって、ちょっと遊びに来るかのように気軽にわが家にやってきて、そのまま同居生活が始まりました。母の住んでいた家には、生活の匂いを残したまま、週に一度くらい空気の入れ替えと、月命日にはお寺さんをお招きしてお経を貰う時にしか訪れることはありません。わずかな人の温もりすら消えるような冷たい空気が漂う家となったのです。そして同時に、母は要介護2の認定を受けデイサービスに通うことになりました。
空き家の維持費
空き家とて、維持をするにはお金がかかります。
大きなものは固定資産税。電気、ガス、水道、電話などの通信光熱費。火災保険。住んでいなくても、そこに家があるだけで、自治会費。神社の氏子。お寺の檀家。ご近所の冠婚葬祭。
そして家の様子を見に行くための交通費。それらを合わせると月に数万円。それらはすべて母の年金から支払われていました。
2015年秋 どうする介護費用
2015年秋、だんだん持病が悪化して弱っていった母を、一人わが家で留守番をさせるわけにはいかなくなったのです。
すったもんだの話し合いの末、週末はわが家で過ごし、平日は有料老人ホームを生活の拠点とする二重生活を始めたのです。その老人ホームは「入居一時金」が0円という初期費用がかからない、新築オープン間もない施設でした。親の介護にあたり、まずは3つのことから始めました。
①自分は親の介護で何が出来るのか出来ないのか明確にする。
②兄弟姉妹でよく話し合う。
③力になってくれるケアマネジャーを探す。
私は介護離職をしないと決めており、海外に住む妹は当然携わることは無理です。仕事を持ちながらたくさんある施設の一つ一つを見学し、検討する時間や知識もありません。
今でも感謝してやまないのがケアマネジャーの存在です。ほんとに親身になって、母と接してくださり、わが家の懐事情を熟慮して最善の施設を探しあててくれました。そして始まった介護の費用は、施設の生活費、実家の維持費、持病の通院費、おこずかいなど最低でも月に25万円はかかったのです。それは母の受け取る年金だけでは賄えない金額でした。
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2016年夏 親の家を処分する
毎月の介護費用の不足分をどうするのか。実家を片づけ、家を処分する。うまくいけば実家の現金化ができる。そして、一切の権限を私は母からゆだねられたのです。たまたま息子が不動産関係の仕事に就いており、そのコネを使ってとても優秀な営業マンを紹介してもらいました。
自分がどうしたいのか、遠慮なく話をしたのです。
①家財道具付で家を売りたい
②売れなければ賃貸で借り主を見つけてほしい
泉 正人 氏の新刊「52歳からのお金のリアル」にも書き記されていましたが、自分が今すぐにでも喜んで住みたいと思える場所や住居であれば資産価値はあるはずですが、そうでなければ他人にとっても魅力のない物件ではないか。まさにそうだと思いました。
実家は車が入れない小道沿いに建っており、今の建築基準法では再建築は不可能に近い物件でした。なので、売れればいくらだって良かったのです。なにせ持っているだけでお金がかかる負の財産でしたから。
親の家を片づける
幸いにも収益物件にと考える不動産投資家の方々から何件か問い合わせがありました。
父の為にしたプチリフォームのおかげで、あまり手直しせずに入居が可能だということ。駅から徒歩圏内だということ。それがポイントだったのでしょう。ですが契約にまで至りませんでした。
そうこうしている内に、親戚の知人で借りたいという人が現れました。すぐさま実家の片づけに取りかかりました。それまでにも実家を片づけようとしたことはあります。
ですが、ひとつひとつの思い出にひたったり、捨てるかどうか迷ってしまい一向に進まなかったのです。なので思い切って
①本当に必要なものだけ大判風呂敷に2つ分残す
②家財道具のなかで必要なものがあれば、借主に使っていただく。
③片づけ業者に残りを一気に処分してもらう。
「実家の片づけ」と聞いただけで、どれだけしんどい重労働だと思うことでしょう。確かに不用品をメルカリやヤフオクで売れば、そこそこのお金になったかもしれません。
でもその手間と労力を私の時間との天秤にかけると、圧倒的に私の時間の方が大切だったのです。なので、全ては片づけ業者にお任せし、その間、私はカフェでお茶をしておりました。
押し入れや、物置に仕舞われていた道具類は借主さんやご近所さんが使えるものを持ち帰ったので新たに息を吹き返したかもしれません。
こうして私は楽をして実家を片づけました。丁度その頃、母は糖尿病の合併症で片足を膝下から切断することになりました。入院とホームの費用のWパンチの出費でしたが、実家の件が一段落ついたせいかお金のストレスは少なかったと覚えています。