アラフォーOLが
不動産投資デビュー
してみた。

【Story11】時間とお金と価値の不思議な関係

会社員と不動産投資家との両立

突然話は遡るが、私が不動産投資スクールの体験会に参加したのは物件視察を開始する1年前の2017年8月だ。
講師の方の快活なベシャリとともに、めくるめく不動産投資の世界を知った私は「これだ!」と思った。 社畜として20年ちょい会社員をやってきた。残りの人生どうするか、定年まで勤めるのかなどと薄ぼんやりと考えていた私は「残りの人生、不動産投資に賭けよう」と、もう本能的に思った。それほど魅力的かつ、自分が進むべき道に思えたのだ。

という運命の出会いを果たしながらも、1年もの間「物件を見に行く」という最初のアクションがなかなか起こせないでいた。
器用な人は会社への通勤前後や週末を使って活動はできるだろう。しかし私はガッツも体力もないアラフォーだ。平日は仕事でクタクタだし、週末は仕事の息抜きのために遊びに使いたい。
もどかしい思いを抱えながらも、不動産投資と出会った1年後の8月にようやく視察デビューを迎えたのだ。

実際、物件を見に行き出したら、歯止めがきかないほどのメロメロ状態に陥った。まさに「糸の切れたマツタコ」状態。。。(第一章参照
もっと手広く物件検索はしたいし、遠くの物件にも行きたい。もっと会計や税金などの苦手分野の勉強もしたいし、本も読みたい。年齢的にデビューが遅れた分、早く知識や経験を積んでベテラン投資家に追いつきたかった。
つまりはもっと不動産投資に費やす時間が欲しくなった。

また一方で、その時期は会社員としての仕事で少しだけ不向きな業務も抱えていた。 これまでの社畜の自分なら「会社員の不は会社員で解決」と昭和マインドな精神で向き合ったことだろう。
しかし今は他にやりたいことがある。前向きになれないことに時間を費やすくらいなら、残り少ない人生、やりたいことに時間をつぎ込みたい。そう思っていた。

そんな時、ファイナンシャルアカデミーのサイトの『お金としあわせ』という動画 で見つけた「お金があれば嫌なことから回避できる。お金は心地よく生きるための道具」というフレーズが頭から離れなくなった。
幸い、20年の貯蓄や資産運用のおかげで、私が会社員をやる目的は、もはや「給与収入」だけではなくなりつつあった。給与目的ではないが、今の会社の事業ビジョンには共鳴しているし、働く仲間も気に入っている。

そこで、私はワガママを言ってみることにした。給与額は問わないので、会社員の時間を削りたい。そして、その時間を不動産投資に使いたい、と。
ありがたいことに懐の深い会社は私の要望に理解を示してくれた。そして私は会社員としてフルタイムではない勤務体系に移行することができ、不動産投資に費やす時間を捻出することができた。
「お金を捨てて時間を得る」ということだが、見方を変えると「時間をお金で買った」ようなものとも言える。

お金で何を手に入れるのか

さらに話は変わるが、数年前に「お金と時間」にまつわるこんなエピソードもあった。 社畜時代に実家のある東海地方に帰省した際の、近所のおばあちゃんとの会話だ。

おばあちゃんが東京からどうやって帰省するのかという交通手段を私に質問してきたので、1時間ちょいでここまで運んでくれる「のぞみ」という便利なお嬢さんの存在を教えてあげた。
するとおばあちゃんは「はー、1時間ちょい。」「ほんで、1万円ちょい。」と言った。 しばしおばあちゃんはポヤンと空を見上げて、「そら、えげつないなぁ。ここらの◯◯線(在来線)なら、1時間以上も乗せてもろても500円ちょいやで」と呟いた。

私はこの噛み合わない会話をした際、脳内に閃光が走った。ばあちゃんにとっては、お金で時間を買う感覚は全くないのだ。 いや、あるにはあるのだが、お金で買っているものの「価値」が私とおばあちゃんでは違うのだ。
つまり、私はお金を払って「速さ」という価値を買っているのだが、おばあちゃんはお金を払って「電車というスペシャルな乗り物に楽しく揺られる長さ」という価値を買っていたのだ。

「あー、いつから私はこんなせかせかした日常が普通になってしまったんだろう」とおセンチな気分になり、この帰省の復路はのぞみ嬢よりのんびりしたこだま嬢というお嬢さんに揺られて帰ったものだ。

変わりゆく感性

話は不動産投資の活動に戻る。
不動産を始めるまでは、23区内の移動は「時間を買う」意味でほぼタクシーだった。
しかし現在。物件を遠方に見に行く時は都心から1時間以上は電車に乗っている。 事前に地図を見て「お、この辺にでかい河川があるな」や「この駅は聞いたことがないな」などとあれこれ空想をして、電車に揺られながらそれらを確認していく道程が非常に楽しいのだ。
ただ、私の場合はフルタイムで会社員をしながら不動産投資をやっていたら、ここまで楽しめる余裕はなかったかもしれない。(そもそも会社勤めをしていると「平日の昼間の街の雰囲気」などが感じられないのも致命的だ。)
「早く会社に行かねば」や「仕事で疲れたからとっとと帰宅したい」などの心身の余裕がなくて、片道1時間の道のりは苦痛になっていただろう。

この一連の出来事を振り返るとつくづく「お金で何を手に入れるか(=選ぶか)」というのは不思議な行為だ。
ただ、お金がないとそもそも選択肢の幅もない。
私は「タク移動をしてでも仕事の時間を捻出する」という馬車馬のような働き方を20年続けて、一定の資産を手に入れた。そのことで、私はこの年齢になり「自分のやりたいことに時間を使う」働き方を選ぶことができたのかもしれない。
そして現在は、かつてはなかった「あえてゆったりとした電車移動を楽しむ」という新たな感性を手にいれた。

西洋の昔の諺で『時が過ぎるのではない。人が過ぎていくだけだ。』という言葉がある。
時間は誰にとっても等しい。結局、その時間を人によってどのような捉え方をするか次第なのだ。
車窓から見える田園風景を眺めながら、この先の人生の歩み方次第で変化していくであろう自分の感性を少し想像してみるのだった。