アラフォーOLが
不動産投資デビュー
してみた。

【Story3】物件価格差に対するモノサシ

都心ワンルームの価格差レンジ

超都心ワンルームの検索を初めてしばらく経過した。家賃としての勘どころはあるが「購入」となると相場も良くわからないため、とにかく物件を検索して、自分なりのモノサシ作りをせねばならない。

新築や築浅だと20㎡でも2000万を超える物件も多い。築年数を落とすと、1000万~1500万に落ち着く。思ったより開きがあるのだな、というのが最初の素朴な感想だ。
私は築古狙いだったので、「築30-40年」に検索を絞り込んでも1000万から1500万ほど開きがある。「ふ~む?」と思ってそれらの物件を比較していくと、この価格差はワンルームの場合はブランドも含む立地に寄るものが多い気がしてきた。例えば同じ築40年20㎡でも「都営新宿線:菊川駅20分」だと1000万位だが、「中目黒:徒歩3分」だと1500万になるようなイメージが出来つつあった。(その次に価格差に影響があるものとしては、内装リフォームなどの室内の気合だろう)
次の作業として、1500万以下の物件を利回りの順で並べて、木造だったり、所有権じゃなかったりするものを弾く。次に毎月の固定費が家賃の10%以下だったり20%以上のものも弾く。そうすると大体は築40年くらいで価格が1000万~1300万あたりのレンジに収まる物件が残ってくる。月の賃料は7万後半~9万以内といったところか。
最初の「新築20㎡2500万」などが混じっていた時と比べると、絞り込み眼が機能し始めたようで妙に安堵する。

価格差への自分なりの基準

が、安堵とともに得も言われぬモヤモヤ感も残った。
絞り込んだとはいえ、絶対的な価格差は「300万」あるのだ。いつしか私は単なる数値としてこの価格差を眺めていることに気がついた。
もちろん、毎月の実質手残り額が1万違えば、毎年のインカムゲインが12万違うことは理解している。でも、「その12万の差が物件価格から考えると、お得と言えるのか否か」という影響差で考えられていないことにモヤモヤしたのだ。

例えば100円のモヤシの束と300円のオーガニック野菜との比較はできる。3万の時計と5万の時計の比較もできる自信はある。
しかし、これまでの人生で100万円の単位で「買い物」の比較はした経験がないのだ。株式投資や投信で「500万投資して40万値下がりして」という経験はあるが、不動産は現物の買い物だ。物件Aと物件Bの価格差が適正なのか、どう影響を及ぼすのか自分の感覚で捉えたかった。これがモヤ野郎の正体だ。

「ええと、月に1万ということは・・キレイ目居酒屋に月2回行けるという価値と同等で・・・」などとウンウンと試行錯誤を繰り返しながら、私は「月で1万の差がつく=物件価格100万の差」というオリジナルのモノサシを考案した。
つまり、年間の手残り12万の差→8年後に売却と仮定すると、8年間で約100万の収益差→だから例えば月の手残りが1万円しか上回っていない物件を100万以上高い価格差で購入すると損をする確率が高い、という具合だ。
もちろん今思えば、売却時の資産価値やら融資条件やら、もっともっと変数をたくさん考慮した上で戦略的に計算をせねばならない。こんなザルのようなシミュレーションではいけない。

しかし、その時の私は非常に大きな買い物をしようとしているのにも関わらず、分かった風味のしたり顔で数値を比較し、その実「群衆を数えてみよー!では、1人、2人、3人・・・、そしてたくさん!」というような大きな数字を自分の皮膚感で捉えることを放棄している状態だったのだ。だからモヤモヤしたのだ。
自分の肌感覚があるモノサシがひとつあるだけで、その後は物件検索をしていても「ああ、物件Aに比べて物件Bは手残り差がこれだけなのに価格がこんなに高いのはボッタクリだな」と、少しは地に足がついた気分になった。

不安を「科学」できるかどうか

『幸福論』などで知られる哲学者アランの言葉に、「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」というフレーズがある。
不動産投資の勉強を始めて、少々の意訳も含めてこのフレーズを噛みしめることが多い。
「何か不安だ」「何か損しそうで怖い」という状態はその「何か」についての知識不足や洞察不足なのだろう。今回はあまりに稚拙な自分なりのロジックだが、ひとつひとつの「何か」に対してきちんと咀嚼し、そして科学的にそこを解決する方法が見いだせれば、「よし、そのような物件を探そう」と前向きさ、つまり楽観が生まれる。
これは不動産だけではなく投資全般に言えることだろう。

チューハイも、ワインも、日本酒も嗜みたい貪欲な私は、不動産の次は株やFXの勉強もしてみたいな~、と物件一つ買ってないくせに妄想だけは広がるのだった。