人生が変わる お金の大事な話

【Story4】順調に人生を送る級友たちを尻目に

「仕事は1年くらい続けてみろ」と親は言う。それはわかっているのだけれども、続けたい仕事がない。将来が見えないし、希望がもてない。
それでも生活していかなければならないので、自分の適性や好き嫌いはさておき、お金に困ったら働くという、ただそれだけの毎日だった。
生活は以前より苦しくなった。貧乏で電話代も電気代も、そして家賃すら払えないときもあった。


だから本当に次から次にいろいろな仕事をした。
細かい話になるが、牛丼屋が二つ並んでいて、Y店は400円、隣のG店は250円。僕はG店にしか行けなかった。
それでいて、遊びには多少なりともお金を使っていた。
僕は、お酒は体質的にダメなのだが、たとえば友だちとの飲食や、ふらりと出かける旅行、それにサーフィンと、使う範囲はこの三つに限られていたけれど、収入が少ないわりにはよく遊んでいた。その分、生活費を削ったり友人に頼ったりしていた。


美容室時代も経済的には苦しかったけれども、夢があった。いずれ美容師となり、トップスタイリストになるという目標が眼前にあった。その目標に向かって一直線に走ればよかった生活苦をつらいと感じたことはない。
でも、今度は違う。目標が定められていない。それだけに経済苦は精神的な苦痛とあいまって余計につらかった。
またこのころ、風の便りで中学時代の級友たちが大学を卒業し社会に出ていると知ることがあった。


一方僕は傾いた陽のささない汚いアパートでひとり暮らし。お金のないその日暮らしの日々。順調に人生を送るかっての級友たちがうらやましかった。
僕は自分で何をやればいいのかもわからず、何をやっても長続きしない。
〈つまらない人生を送っているな〉
自分は何も生み出していない。くやしさと無力感にさいなまれた。
〈こんなはずじゃなかったのにな。いったい僕は何をしたいのか。本当はしたいことなんてないんじゃないのかな……〉
気持ちがドン底に沈みかけたときだった。
ふと、あるフレーズが僕の脳裏をよぎった。
「人をうらやんでいるだけでは、何も始まらない。昔は、うらやむは、心病む、と書いたんだ」
美容室時代に星さんから聞いた言葉だ。あのとき星さんは「人をうらやむのは心の病気なんだ」と言っていた。

自分が変わらないと何も変わらない

星さんの顔が僕の心の中に浮かんだ。
誠実で温かそうな人柄が無性に懐かしくなった。いつも静かで、底の知れないところがあった。けれども見る者の心にしみ入ってくるような作為のない笑顔をしていた。
たいていの大人たちには、どこか僕を見下しているようなところがあった。でも、星さんはいつも年下の親しい友人に対するような態度で接してくれた。


ほとんど反射的に、僕の脳裏にあのころの記憶がよみがえってきた。僕の体には知らないうちに星さんから聞いたフレーズの数々がしみついている。
「教えられたいという心があれば、教えはどこにでもあるし、人と人との間は、一方的に教えたり教えられたりする関係ではないよ。本気で学びたいと思っている人は、遊びからでも子どもからでも学ぶことができるんだ」
「自分のオ能は、自分でチャレンジして発見していくものだ。何もしようとしないのは一番愚かなことだよ」
「人生というのは、自分の力で切り開いていくものさ」
「くやし涙の中から立ち上がる。その性根が人生には大切なんだ」


(きっと、星さんはチャレンジをして、自分の力で人生を切り開き、成功を手に入れたんだろうな。僕もそんな風に人生を切り開いていきたいよ!〉
会わなくなったことで、かえって星さんに感化されている自分を感じた。
「自分が変わらないと何も変わらないよ」
僕は、はたと気づいた。星さんがそう告げたとき、僕は自分の奥深くによどんでいた本音の部分をのぞき込まれていたのかもしれない。きっと自分の心の底に、変わりたいという願望があったのだ……。
無性に星さんが懐かしくなった瞬問だった。

思いがけない再会

しかし「変わりたい」と願いながらも、相変わらず僕はフリーター生活を続けていた。
仕事をする意欲はあるものの、働いてみると、やはり何か違うなと思うところが出てくる。そしてやめるということの繰り返しだ。
すでに美容室をやめて、2年近くが経とうとしていた。僕は24歳になっていた。
ある日の午後、僕は渋谷に出た。美容室をやめてからというもの、渋谷に出ることはあっても、勤めていた美容室のあたりに足を踏み入れることはなかった。
美容師をやめてからというもの、僕はちっとも浮かない人生を歩んでいる。いまの姿を、僕を育ててくれたオーナーには見られたくなかった。
でもその日、駅を降りた僕の足はふらふらと美容室のある方向に歩き出していた。そのことに気づいて顔を上げたときだった駅に向かって歩いて来る人ごみの中に、懐かしい顔を見た。


〈あれは、星さん?星さんだよ―〉



足が止まり、僕は棒立ちのかっこうになった。次の瞬間にはもう駆け出していた。
僕は星さんの真正面に立ちはだかった。それ以前に星さんも僕に気づいてくれたようで、あの懐かしい笑顔を見せてくれた。
このときの気持ちを、どんなふうに表したらいいのだろうか。たとえば、こんな気持ちだったかもしれない。
〈これから先、自分にどんな運命が待っていようともかまわない。星さんのように、人生は自分の手で切り開いていくんだ〉
星さんは、何も言わずに右手を上げると指さした。その先に喫茶店があった。
オーダーが終わるまで、二人とも口を閉ざしたままだった最初に口を開いたのは、話をしたくてしようがなかった僕である。
「奇遇ですね、本当に偶然でしたね」
そのあと、僕はごぶさたをしていましたとか、お元気でしたかとか何とか、社交辞令のようなことを言ったはずだが、よく覚えていない。興奮していたのだろう。

「僕の道」を見つけていく!

星さんは、僕が一通りのあいさつを終えると、あっさりこう言った。
「偶然なんてないさ」
すべてのものは因縁、因果の必然関係の上に成立しているという。会うべくして会ったというのである。僕はうれしさを隠せなかった。
「いま、君は何をしているんだい?」
そう聞かれた僕は、美容室をやめてからの生活、フリーターをしながらなんとなく月日が過ぎていく無為な生活を打ち明けた。


「友達はみんな社会人になってきちんとした職についています。なんだか僕だけ置いてけぼりを食っている気分です」
「大学へ行く人はたくさんいて、学問のある人もたくさんいる。才能のある人も少なくない。けれども、そういう人がみんな成功をつかんでいるかというとそんなことはないよ」
むしろ、成功した人の中には学歴もなく、苦労を味わって、磨かれた人に多いと星さんは言った。


「この性格がいけないんですかね。飽きっぽい性格だから、夢が見つからないのかもしれません」
僕は常日ごろ、自問している悩みを打ち明けた。すると星さんは、こんな話を聞かせてくれた。
「自分のビジネスを成功させてお金を稼いでいる人ほど、ハンパじやない努力をしているよ。普通の人と同じようにやっていたら、成功はおぼつかない。楽してお金もうけはできないよ。見えないところで、人の10倍20倍は努力をしているんだ。でも他人から見ると、今の優雅な生活だけが目に入る。過去や陰の努力なんて見えないからね。そういう見えない部分があるから、うらやむ人も出てくるんだ」


そして、こんな話でしめくくった。
「でも、そういう努力を維持するなんて多くの人にはできない。だから、どうにかして3年でも5年でもいいから、維持できる方法を見つけ出すんだ。それくらいなら、飽きっぽいという君でもがんばれるだろう。美容室で5年、夢を追う努力ができたんだから」
そう言って、星さんはあの笑顔を見せてくれた。
「絶体絶命と思えても、そこから抜け出す手段はあるものだよ」
僕の趣味のサーフィンにちなんだ話だ。
「波というのはその日によってまるで違う。世界に同じ波は一つもない。風や天気によって変わる。同じように人間の気持ちにも波があるんだ。その波を盛り上げる方法さえつかんでおけば、何事もクリアできるものさ」
僕は星さんからもっといろんなことを学びたい――。


そんなことを、興奮しながら語った覚えがある。そして、また何か相談させてほしいと頼み込んだ。
星さんはにっこりと微笑んで、名刺をくれた。
以後、星さんは僕にとっての恩人であり、師であり、よき助言者でもある。いわば育ての親でもある。
美容室での5年は、僕の人生の中で価値ある年月だった。何より、僕の人生の歯車を大きく回してくれる原動力となった星さんとの出会いがあった。
僕は、弁理士という難易度の高い資格を取り、それを生業としている父とは、違う道を歩き続けてきた。
仕事に励む父の姿を追いかけて育った子どもではない。
父は苦労して資格を取得したせいだろう、一学歴や資格がなければ社会に出て成功できないという考えを持っていた。愚直に生きる父にことごとく反発していた。


でも、美容室をやめたあとの僕は、父のような生き方もあるのだと、理解できるようになっていた。
自分とはめざす道が違うからといって、人を否定してはいけない。僕は「僕の道」を見つけていけばいいんだから――。