わが家には30歳手前の長男と今年社会人1年生の娘と同居しています。月末になると、ある恒例行事がリビングで行われます。それは、オープン家計簿。
*光熱費は割り勘、食費は家に入れる
月に一度、クレジット払いにしている光熱費や携帯代の請求書がくると開示して、費用を算出します。それを3分割。それに食事代を設定して徴収します。
この春、社会人になった娘は請求書をじっくりと眺め、「こんなに使っているんだ」と。その時はじめて通信料や光熱費の使用料を知ったのです。ママ友から水道代がバカにならないと時々愚痴を聞きます。例えば水道代が3万円だとして、家族の誰かひとりが負担するとしたら、負担者は節約しようと考えますよね。子供たちはシャワーを出しっぱなしで頭や体を洗っています。それは、自分で払っていないからではないと思うのです。自分で支払うようになれば、勿体ない気持ちが出てきます。お風呂の残り湯を掃除に使ったり、植木の水やりに使うのは水道代がバカにならないと知っているからこそ。あえて光熱費はきっちり割り勘にしている理由はかかる費用を曖昧にしないためです。
高校卒業すれば小遣い廃止
高校卒業をきっかけに子供への「お小遣いは廃止」。通学定期代や部費。遠征や合宿費用などは親が出しましたが、日常的な出費は「アルバイトをして稼いでね」と高校入学時から伝えていました。まとまったお金がなくては心細いであろうと、生まれた時から頂いたお年玉やお祝いは全て貯金して、高校生になったら預金を各人で管理。
長男は一瞬にして遊興費に使い果たしましたが、次男は趣味のドラムを購入以外は使わず、大学生活で使ったようです。長女もバイクを購入した以外は使わず貯金していました。子供たちは20歳になる頃、運転免許を取得。その教習費用も貯金を崩したり、アルバイトをしたり各自で負担していました。長男だけは資金が足りず貸しましたが、その後働いて返してくれました。
外食や家族旅行、特別な事柄やお祝い事にはお金を出しますが、その他のことは自己責任。貸したお金は曖昧にせず、きっちりと返してもらいます。
あてにできないくらいの親でいい
親からみると、子供は何歳になっても子供です。心配や干渉をついしたくなるものです。子供の将来を考え教育費をかけてきましたが、それだけでは安心ではない。やはり自立させることが最大の課題で安心材料です。思春期の頃から少しずつ、「うちの親はあてにできない」と思ってくれるように「お金」に対してはメリハリをつけるようにしていました。お金を出さない代わりに口も出さない。それがかえってお互いに依存し合わない親子になれた気がします。
*いつまでもあると思うな親と金
これから、がんばってお金を稼ぐであろう子供とは逆に、50歳を過ぎたら病気のことや老後のことなどの自分のことが心配になってきます。年金は生活ができるほどアテにはできず、生涯働かなくてはならないと思うのです。子供の為にあれこれとしたい気持ちはありますが3人もいれば、思うまま費用をかけていては、お金はいっこうに貯まりません。
亡くなった父の口癖は「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」。子供の頃には聞き飽きていましたが、50歳を過ぎてしみじみと「いいこと言うなぁ」と感心しているこの頃です。