こんにちは。
こめまるです。
今年7月末でサラリーマン生活に終止符を打って現在3ヵ月目。アルバイト生活もとりあえず慣れた感じです。
といっても今月から掛け持ちでウェイターのアルバイトも始め、そこにちゃんと慣れるまでは、あと2ヵ月くらい掛かると思います。
だから今年の年末には、それなりの生活サイクルが出来てくる予定です。
ただアルバイトは、一時しのぎなので、本業のライターで食べて行けるようになるのが当面の目標です。僕はその猶予を最大1年と見ています。
では、もし1年経っても収入が上がらなければどうする?
その時は、年金に逃げます。つまり1年後には特別受給が始まり満額ではありませんが、アルバイトひとつ分くらいの収入になります。
ライター業が軌道に乗らなくてもアルバイトと年金でなんとか食べていける試算です。
さて、今日は62才の男が、アルバイト生活を始めて感じたリアルな実感をお伝えします。
年齢のマイナス面は感じない
僕が現在アルバイトをしている場所は、ともに年齢での条件を付けていないし、面接から採用、実際に働いてみて、年齢でのマイナス面は感じません。
むしろ現場では、年齢には関係なく、接してもらえるのが嬉しいです。
だから60才以上といっても遠慮されることなく、びしびし仕事を教えられたり、注意されたりとまさに大学生時代に戻った感覚です。
現在は、求人に際して年齢の条件を提示しないのが普通のようです。
でも、現実としては、アルバイト探しの時に年齢で落とされたかな、と感じることはありました。
例えば、某CDショップは、明らかに年齢だと感じました。
もちろん採用側が60歳以上だから採用しません、とは言いませんが、採用条件に合っているのに、履歴書の提出だけで落とされたのだからつい年齢がネックだったかなと感じたのです。
でも、現在アルバイトで働いている2ヵ所に関しては、採用に関しても年齢は関係ありませんでしたし、実際に働きだしても職場の方たちから年齢で意識されていることは感じません。
高齢者の働ける環境が増えている
昨日、新しいアルバイト先に別の店舗のマネージャーが来ていて少しお話する機会がありました。そのマネージャーは、まだ30代後半でしたが、高齢者の採用のことや定年について僅かな時間でしたが、話す機会を頂き有意義でした。
このお店の親会社が、70才を超えてもアルバイト、パート等で働ける環境を提供していることがビジネス雑誌に採り上げられていました。
僕は学生時代、飲食店で長くアルバイトしていたので、自分でやってみたいと思ったと伝えました。
そうするとマネージャーは、明日63才の方が面接に来られますが、年齢の先入観を除外して接することにします、と言ってくれました。
その気持ちは、よくわかります。
自分の両親くらいの人がうまく働けるか心配なものです。
メディアに左右されない目標を持ちたい
前から不思議なのは、人生を60年も生きてきて、どうして定年後の生き方に右往左往するのだろうか、ということです。
だから定年後の生き方、働き方、または人生の仕舞い方などの書籍や情報が氾濫しているように感じます。
先日読んだ週刊誌には、世間で言われているように70才、75才まで働くことは逆に病気や怪我を引き起こすリスクが高まると記していました。
つまり、高齢になることで運動能力が落ちて、仕事を続けることで体調を崩したり、怪我をしやすくなるということです。
また同じ紙面には、高齢者が免許を返納することは、逆に認知症のリスクが高くなるとも書いていました。つまりクルマの運転をしなくなることで行動範囲が狭くなり刺激がなくなるので、認知症のリスクが上がるというのです。
大体、メディアの伝える内容は、2つの方向性があり、一つは定年後は第2人生が楽しめるという楽観的なものと、逆に老後破産などの危機感を煽るものです。
どちらもそれなりの根拠を基に書かれています。しかし、現実味が薄い感じがあります。
つまりあくまで予測の世界なのです。
メディア情報に左右されない目標を持って行きたいです。
最後に
昨年、重松清著「定年ゴジラ」を読みました。出版されたのが、’98年ですから20年前です。定年後の生き方が今とはガラッと違っていることに気付きます。
また、定年後、行くところがなくて妻にくっついて歩く男性を称して「濡れ落ち葉」という言葉が初めて出たのが30年前の’89年(平成元年)のことです。
いま濡れ落ち葉という言葉を使う人はいないし、定年後の男性は妻について回る余裕もありません。
つまり60才を過ぎた男性も女性も、多くは引き続き働くのが一般的になってきました。
いまはいつまで働くかが話題の中心です。
現在87才の作家五木寛之氏が、長生きして世の中の行く末を観て行きたいと書かれていましたが、僕は当事者として移り変わる高齢者を取り巻く世の中を見て行きたいと思います。