平成の世がまもなく終わろうとしています。人生100年時代、いくつになっても豊かな毎日を過ごしていくためには、一生教養を身につけていく勉強が必要でしょう。
多くの知識や技術を持っているだけでは、真に教養がある人とはいえないようです。
本当の意味で教養がある人になっていくためには、どんな生き方を心がけていけば良いのでしょうか。
中谷彰宏著『なぜあの人は「教養」があるのか。』 より、教養を深める行動のコツをご紹介します。
教養は基本から生まれる
基本は、一流の人のしか見えないのです。二流から見ると、技術しか見えません。自己流で練習する人は、見える技術だけをマネします。基本をマネしないで技術がつくと、いやらしいものになります。
<50ページより引用>
ビジネス書からエッセイ、小説に至るまで、多岐にわたるジャンルにおいてベストセラーやロングセラーを送り出してきた著者。現在も執筆だけではなく、全国で講演やワークショップ活動をしているのだといいます。
著者は、
「展覧会に行っても、何がいいのかわからない人。」
「教養がなくて恥をかいた人。」
「何から教養の勉強をすればいいか、わからない人。」
こんな3つのタイプの人に向けて、本著を書いたのだと語っています。
教養の厳しさとは、基本を勉強しなければならないことであり、あらゆるものには「基本」と「技術」があるのだとか。
それまで自己流で練習してきた人には「基本」が入っていない。だから、伸びないのだというのです。
素人が見てその違いがわからなくても、プロから見たら一目瞭然。基本は極めて地道なもので、日々の積み重ねをコツコツと行い、他者承認が得られない世界だといいます。
年を重ねてくる中で、なんとなくそれなりにしていたことの様々。それらの基本を、今一度勉強しなおすということは、大人が真に教養を深めるということにつながりそうです。
教養があるかどうかは、ひと言話せばわかる
教養のある人とない人の見分け方は要りません。ひと言話せば、その人に教養があるかないかは一発でバレます。教養のない人の「知ったかぶり」は通用しないのです。バレるというのは、教養のある人に対してです。<139ページより引用>
話をしていると、この人は教養がある人だなと感じることがあります。
それはものをたくさん知っているからということでもない。教養がある人かどうかは、ひと言話せばわかると著者はいいます。
その理由は2つあります。1つは、教養的なネタで話せるかどうかということ。もう1つは、そもそも使う言葉が違うということ。
教養のない人が話す言葉は、日本語としてどこか変で、ボキャブラリーも圧倒的に少ないのだといいます。
言葉は教養のエッセンスであり、言葉のレベルで教養の差というものは露呈してしまうものなのかもしれません。
さらに、教養がない人の知ったかぶりは通用しないと著者は語ります。
語彙を増やすためには、どのようにしたら良いのでしょうか。
コツは、「誰とでも話すこと」、「体験を増やすこと」、「紙の本を読むこと」であると著者はいいます。
年齢を重ねたとしても、多くの人と会話をし、新しい体験を増やし続けて、読んだことがない本を読み続けていく。そんな地道な努力の積み重ねが、教養のアップデートにつながるようです。
異業種の一流から学ぶ姿勢
教養を深めていく上で、違うジャンルの一流から話を聞く大切さについて著者は語っています。このような勉強の仕方をしている人が、教養のある人なのだとか。
もっとも参考にならないのが、同じジャンルの二流の人の話を聞くことで、二流を極めたら一流になるのではないということを知らなくてはならないといいます。
いくつになっても、相手が年上でも年下でも、自分とは違うジャンルの一流に対してリスペクトの心を持ち、新しいことをどんどん取り入れていく。
このようなスタンスは、年齢を重ねた大人が教養を身につけていくコツであるといえそうです。
タイトル:なぜあの人は「教養」があるのか。
著者:中谷彰宏
発行:水王舎
定価:1,404円(税込)