そろそろ定年が視野に入る50代は「お金」は大きな関心ごとです。生きていくのには「お金」は必要不可欠。「お金」と向き合うことは「人生」と向き合うことに似ていると思います。独身だった若い頃には、オシャレや趣味に自由にお金を費やしていつも金欠状態でした。そんな私は結婚を機に、家計簿をつけお金の流れを把握し将来の夢に向かって計画的に貯金をする努力をしました。その甲斐あってバブルが弾け、地価が下落し始めた頃、新築の建売り住宅のローンを組んで購入することができました。新しい家を購入した翌年、第三子、待望の女の子が誕生したのです。
華やかなママ友ライフ
娘が幼稚園に入園すると、上二人の男の子はすでに小学生。それまでの10年間、家事と育児に追われ、いつも傍らには子供がいる生活。子供たちが学校に行っているその間、やっと自由な時間が出来たのです。その解放感といったら、再び独身に戻ったような気分でした。息子の学校や娘の幼稚園のママ達と、毎日のようにお茶やランチ、時にはショッピングにも行きました。ほとんど、中・小学校の受験の情報交換やたわいもない噂話であっという間に時間は過ぎていきました。しばらくすると、夫は海外に単身赴任。子供達との留守家庭では子育ての苦労はありましたが自由でそこそこ華やかだったのです。ただ、楽しむには「お金」はどんどん必要でした。
贅沢な生活も続けていると
単身赴任の留守家庭、子供達と慎ましく暮らしていれば、大きく貯蓄額を増やせるチャンスだったかもしれません。ですが、あれば、あるほど「お金」をかけようと思えばいくらでもかける理由が見つけられるのが「生活」です。いつも「足りない。あと○○万円あればなぁ。豊かに暮らせるのに。」と頭の中は「お金」のことで一杯でした。生前父からは、「人にはそれぞれ器ってものがある。外見ばっかり気にせんと中身を気にせい。」と事あるごとに注意を受けましたが、未熟な私は聞く耳を持ちませんでした。贅沢な生活も続けていると普通となり自分が見えなくなります。現に夫に招待された海外旅行ではラグジュアリーな経験をさせてくれましたが、そのほとんどを覚えていないのです。
自分の「器」に気付く
夫が単身赴任を終え共に生活すると、それまでのすれ違い生活では見えなかったものが見えるようになってきました。このままでは、夫婦として生きていくのは難しい。それまでのパート社員から、一念発起して人生初ともいえる就活を始めたのです。幸いにもすぐに職は見つかりましたが、いざ働いてみると厳しくて、涙がこぼれ落ちそうなつらい経験もしました。なのに初めて受けとったお給料はスズメの涙ほど。そこで、やっと私自身の持っている「器」の小ささに気付いたのです。それが自立へのはじめの一歩でした。
足るを知るとは
「足るを知る者は富む」という老子の言葉があります。欲に惑わされず、分相応の現状で満足できる者は心が豊かである。という意味です。これは単純に「身の程をわきまえよ」という事ではなく、自分の足元をしっかりと見よ。どれだけ素晴らしいものがあるか気づきなさい。という教えだと思うのです。自分の「器」を知った私は、自分にとって何が大切なのか、必要なものは何なのか、どのような人生を送りたいのか、そして、どのように「お金」を使うのかを深く考えたのです。そして少しずつ自分の「器」を大きくしていく努力をしました。「器」以上の「お金」を持つと地に足がつかずこぼれ落ち、それ以下だと人生が寂しいような気がします。どっちをとっても、それはストレスとなります。自分にとって丁度いい「器」が分かると、「お金」の欲や不安が消えていきます。そして今ある幸せに気づくことでしょう。あなたは「お金」とどのように向き合いますか?