人生50年を過ぎたころから、時々、どのように終焉を迎えるか考えるようになりました。好きな事して思いっきり楽しんで、わがままし放題。最後に「ああ面白かった。ほなさいなら。」と言って終わりたいと思う様になりました。少し前までは、いろんなことをガマンして、子供のため、会社のため、老親のためと走りまわっていたと思います。それは、私だけではなく、みんなそうだと思うのです。そろそろ無理せず気ままに生きてもいいのではないでしょうか。
ぐらぐらと揺れている
あれは数年前の寒い冬のこと。仕事を終え自転車で30分かけて自宅に戻り「ただいまー」とリビングのドアを開けると突然にぐらぐらと揺れる。「地震?」「ちがう?揺れているのは私か!」これはもしかして、脳梗塞?いや手足の感覚はある!子供に両目が明後日の方向にいっていないか見て貰いました。「目が左右に揺れている」と。目眩?これがメニエール?とそんな時でもキッチンに立ち夕飯をこしらえるのです。内心はとても心配なのだけれど、平静を装いなんともないふりをする。作り終える頃には気持ちが悪くなり立ってはいられません。這い上がるようにして二階の部屋にいき、かけ布団を頭まですっぽり被り外側の景色を遮断。布団の中は狭い真っ暗な空間でそこだと目を開けていても揺れが大分とましなのでした。そのまま一晩寝てしまい朝にはすっかり回復していました。後日心配なので、目眩の専門医にみてもらいました。
「休むって何をするの?」
「何かストレスはありますか?」「ストレスを感じるってどんな風ですか?」と私。苦笑しながら「まぁ、ストレスのない人はいないからねぇ」「過労ですね。ゆっくり休んでください」医師の診断はメニエールでした。この時初めて、耳鳴りと左の聴力がかなり落ちていると分かったのです。そういえば、いつも耳の中にセミがいるようだったなぁ。時々朝起きた時にふらつきもあることを思い出したのです。自分を労わることを知らない私は「休む」というのはどういうことか分からなかったのです。
私に任せておいて
元々なんでも自分でしないと気が済まない性格でした。人に迷惑をかけたくない。なので、ところ構わず手当り次第に抱え込んでいたのですね。仕事も家事も、老親の世話もそして趣味までも。「私がやらねば誰がやる」と。思い返してみても、誰かにそっと手を差し伸べてもらった記憶がないのです。そらそうですよね。傍から見たら私は、誰も頼っていないのですから。助けようがありません。
無理をしない努力をする
仕事あっての生活でした。残業続き、休日返上で勤務していたこともあります。ですが充実した生活を送るための仕事と考えを切り替え、有給や代休を積極的に取るようにして、心身をリフレッシュさせるように心がけました。毎日のようにパンやケーキを作っていましたが、ほとんど作らなくなりました。いくら好きで楽しくても、やりすぎては過労につながります。夕飯の支度も、週に一度は外食。キッチンの休日です。悩みの種だった有料老人ホームに入居している母との関係は随分と良くなり、それはホームのスタッフに感謝しかありません。私が人に対し「困っている」と助けを求めたのは母の件が初めてです。とても迷惑をかけましたが、私は、随分救われ、感謝の気持ちが生まれました。それは人を頼ったからこそ生まれたと思うのです。あのまま、わが家で母と暮らしていたら、母は不摂生がたたりすでに天に召されていたでしょう。
自分が持てるものには限りがある
両手一杯抱え込んでいたものを、あれこれ手放して余裕が出た頃に愛犬との出会いがありました。気持ちに余裕がなければ飼うことはできなかった。そして、愛犬とくつろぐ時間や安らぐ時間も得ることはできなかったでしょう。皆さんも、ちょっと心に聞いてみて自分の手にしているものが多すぎたり、重かったりしたら、潔く手放してみてはいかがでしょう。それが軽くなったら、もっと気ままに生きていけるかもしれません。