私には、東京に離れて暮らす息子がいます。社会人になり結婚をして家庭も持ち独立しています。
年に一、二度会う以外に普段の交流はありません。久しぶりに会おうと「どう?」と細かな日常の様子を聞く代わりに「幸せか?」と問いかけます。すると「おう!幸せやで」と返事が返ってきて、「ならば良し!」と安心するのです。
息子にも人生色々あるでしょう。でも、自分が幸せだと即答できるならばそれは素晴らしい人生だと思うのです。
50歳からの人生を「今、幸せである」と言い切れる人生にしたいと思っています。
あなたは幸せですか?
「あなたは幸せですか?」と聞かれたらどう答えますか?即座に「はい」と答えられますか?
多くは「うーん」と考え込んでしまうのではないでしょうか。若い頃の私は、「あれもないし、これも大したことはないし」「うーん、でも不幸ではないから」「幸せと言えば、幸せかな」と答えていました。
幸せには、こうなったら幸せ、あれを持てば幸せという基準がある。バブル組でもあったので他人から羨ましがられるような暮らしでないと「幸せ」と言うのはおこがましいと考えていたのです。なので遠慮がちにそう答えたのだと思います。
自立してみて分かる幸せ
絵に書いたような幸せな家庭を目指していたのに、破綻する。私は自分の人生を自分で決めて自立の道を歩むことにしたのです。幸せが遠くに感じる状態といえるかもしれません。
しかし私はなにやら希望に満ちていて「よし、がんばろう!」と思っていたのです。そして、それまで自分が考える「幸せ」の基準はもうどこかに消えてなくなっていました。
幸せか幸せでないかは自分で決める。自分は何を大切にし、どのように暮らしていきたいのか。それは「もの」ではなく心の在り方なのではないだろうか。自分で自分を幸せにはできるのだ。
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幸せを感じる感性を高める
私の家は地価高騰の時に購入しお世辞にも立派ではありません。いつか大きな家に住みたいと思っていました。そうすればもっと幸せな気分を味わえる。すると住んでいる家にさほど愛着もわかず、家を大切にする気持ちは薄いのです。
いま在るものに目を向けず、ないものに目がいく。気持ちが「ある」ではなく「ない」に向くと幸せを感じるアンテナは低くなります。
自立をきっかけに考えた私の幸せは、家族を大切にし、日々の暮らしを丁寧にすること。
それは、この小さな家の中にある。入れものの大きさではない。そう思うことができると、あるものすべてに感謝できるのです。
あるものリスト
私にないもの「キャリア」「学歴」「お金」「持ち家」etc.いくつか書いてみると、嫌になってきますね。ないものに目がいくと、嫉妬心・自信喪失・落胆・不満足など、ネガティブな感情が表れてきます。
でも私には「家族」「妹」「仕事」「友達」「仲間」「住むところ」「犬」「健康」「笑い」「ブログ」etc.もっと上げることが出来ます。
その一つ一つを思い浮かべるだけで感謝と有難い気持ちがあらわれ幸せな気分になります。
そう、私は幸せなのです。食うに困らない仕事があって、家族みんな健康で、住むところがある。それだけで十分幸せ。
とにもかくにも自分は幸せであると決めてしまうこと。これが基本。幸せを感じない人はノートに自分にあるものを頭の中から搾りとるように書き連ねてみてください。
50年も生きていたら結構あるのではないでしょうか。そしてそれを眺めてみたらどんな気持ちになりますか。試してみる価値はあると思います。
人生には嬉しいことと同様に悲しいことや辛いこともやってきます。嬉しいことがあれば、幸せのポイントは積み重ねられ、もっと幸せになるでしょう。
反対に予期せぬ不幸が訪れたら幸せポイントは減るのでしょうか。自分が幸せであるという前提に立っていれば、その幸せはなくなりません。
それでも私は幸せである。その気持ちさえあれば大丈夫だと私は思っています。皆さんは幸せですか?