
このところ、というか段々と母の住む老人ホームへ向かう足取りが重くなってきました。それは今日もまた嫌な思いをするであろう予感がするからです。まず、顔を見るなり待ちくたびれたと文句から始まります。そして次に「買ってきてくれたか?」と聞かれます。
ホームは比較的自由で、外出可能だったり食べ物の持ち込みもOKです。食べることが好きな母に、必ずお寿司やお刺身、常備菜になるようなもの何品か差し入れます。買ってきたものを見て、「なんで、あれがないねん?」と一言。「あれがないとご飯が食べられないやん」「どうやってご飯を食べるねん」「おかずあらへん」と次から次へと文句を発します。ダイニングでお食事中の他の入居者さんは、出された食事を静かに召し上がっておられます。恐ろしいほど悪化していた糖尿病が落ち着いているのはバランスの良い食生活をおくっているからです。本来は差し入れも禁止です。しかし、それでは日常に愉しみや彩を感じないだろう。サプライズで「好物」を届けようというこちらの気持ちは、母の態度や言葉を聞くうちに義務になってきました。
車いす生活になり近所の喫茶店にも行けなくなりました。自分ではできない苛立ちを抱え、うまくいかないことや、嫌なことはあるのかもしれません。そのはけ口に携帯を使いあちこちへ迷惑な電話をかけるので携帯も解約しました。そんなこともあって、「聞いてもらえない」という不満が益々たまり、訴えが多くなりしつこさが増してきました。
たまに言ったり、聞いたりする分には適度なストレス発散になるから良いでしょうし、こちらも我慢ができそうです。しかし口を開けば、文句のオンパレード。「娘だてらやって当然」という命令口調に反発し、時には声を荒げる私。見かねた職員が仲裁に入ることも増えました。だいたい話をはじめ3分くらいで我慢の限界に達し、「仕事があるから」と嘘をつき、「まだ居てて」という母の声を背中に聞きながらホームを後にします。そのたびに嫌な思いを引き下げ家路へ。そうするうちに段々ホームへの足取りが遠くなり重くなるのでした。
そんなある日のこと、夕飯に間に合うように好物の鱧の天ぷらを持ってホームへ。食堂にはテーブルにつく母の姿。他の入居者さんと静かに待っていました。後ろからそっと声をかけると。「ああ、よう来てくれた。」「この前はえろうすいません。私が悪かった。」「許してや。」と手合わせて拝むではありませんか。予期せぬ態度に「いやー、母親に謝ってもらうなんて、生まれてはじめてやー」と冗談を言うと、周りの方は苦笑い。
「どうしたん?」と聞くと「お母ちゃんみたいな態度をしてたら誰でも頭にくる」と。どうやら職員さんに懇々と諭され態度を改めると決めたそうです。「いつもありがとうございます」という笑顔の言葉に目頭が熱くなるのを必死でこらえ、鱧をテーブルにだしました。「美味しいわ」と繰り返し呟きながら、体の調子などをを話す母。傍で立っていると、そっと丸椅子を差し出してくれる職員。その日は和やかに食事を見守ることができました。帰る時、来た時よりもカラダが軽くなっているのが分かりました。でも次に行った時はこの期待はしないでおこうと思っています。