
36年も会社員をやっていると知らず知らずのうちに情けなくなっている自分を発見することがあります。
オフィス街を歩いていて、ショーウンドウに映る初老のサラリーマンを見て、
「あぁ、あんな疲れたサラリーマンにはなりたくないなぁ」と思った瞬間「あっ、あそこに映っていたの俺じゃないか…」とショックを受けたり、登山で帰れなくなり救助を待つ中高年グループの報道を観て「いい年をして無理するなよ!」と突っ込みをいれようとして、自分と同年だと気づいたり。
先日、打ち合わせで行った赤坂のホテル・ラウンジでは、大企業の役員風の60歳前後の男性と秘書らしき若い女性が楽しそうに談笑していて、ついついその会話が聞こえてきたのですが、男性がつまらないオヤジギャグを言って、その女性が仕事柄コロコロ笑うという光景をみて「ケッ、」となったり、でも自分も若い女性と話すと、あんなつまんないギャグを言うな…と落ち込んだりしています。
つまり、「自分だけは大丈夫」などと根拠のない自信を持っていても、今が残された人生で一番若いということを常に頭に置いておきたいですね。
何年生きようとあっという間
以前あるテレビ番組で100歳にしてお元気に生活や仕事をしている人を取材して報じているものがありました。
確か、男女合わせて10名近い100歳の方をご紹介していましたが、皆さん流石に年季が入っていて、その人生訓や仕事観など千差万別にもかかわらず、誰の言葉にも含蓄があり、膝を正して聞きたくなるような迫力がありました。
ところがインタビュアーが最後にある質問をしたら、皆さんから揃って全く同じ答えが返ってきました。
そのインタビュアーの質問は、
「100年は長かったですか?」
というものでした。
なんと答えはみんな一緒、
「あっという間だったよ」
「あっという間やったなぁ」
「あっという間でしたわ」
そう、100年間生きてきた人でも実感としてはあっという間だったのです。
そして60年間生きた僕もあっという間だったのが実感です。
つまり60年生きようが、100年生きようが、実感としてはあっという間なんですね。
90分で学べる、定年後の不安を解消したい方必見!
俺たちに明日はない
もう20年以上前、会社の後輩男性の結婚式2次会に出席して新郎と話していた時に、僕に子供が3人いることに対し新郎の彼が、「すごいなぁ、よくうちの会社の給料でやっていけますね。僕なんか、人間出来てないから、親になんてなれませんよ」というようなことをいうので、「出来た人間になんて一生なれないし、親になれば、自然と親になるんだよ。生活もなんとかなるもんだよ」という話をした記憶があります。
実際、3人の子供全て私立大学に行き、上の二人は社会人になったし、3番目はまだ大学生ですが、よくここまで頑張れたなという気持ちです。
さて、定年をテーマにした書籍や雑誌に60歳から75歳の15年間を人生の黄金期と称するものをよく見かけます。
この年代は、仕事や家庭の束縛から解放され、しかも体力的にも自分でまだまだ好きなことが出来る年代だからだそうです。
中には、現役会社員時代に会社にいた時間に匹敵する自由時間があるので、有意義に使いなさいとお節介な論調のものまであります。
でも、その黄金期と呼ぶ期間は、結果論であって、人にはそれぞれ寿命があります。
だから僕は「次はない、またはない、今度はない、そのうちはない」という気持ちでやりたいことはやる、やらないことはやらない、とするようにしています。
俺には明日はない!というのが、僕が自分自身に言い聞かせている戒めです。
60代のリアルを伝えたい
定年関係の書籍やネット記事などを読んでいると、
いろいろ参考になるものもあるし、なんとなく違和感を感じるものもあります。
定年後には、バラ色の人生が待っているという論調には引いてしまいますし、逆に、老後に最低3,500万はないと危ない的な危機感を煽るような意見には、焦るよりも開き直って「ふん、なんとかるよ」と思ったりします。
大体論調は大きく分けて2種類。
自由な時間が持てるという希望を与えようとするものと、不安を煽るもの。
このコラムでは、60歳を過ぎた男が迷いながらも前を向いて歩くリアルな姿を伝えていきたいと考えています。