こんにちは。
こめまるです。
37年間のサラリーマン生活を終えて、約3週間が経ちました。
現在、週3日から4日のアルバイトと自営業の生活です。
家にいる時は、終日PCに向かっていたり、情報収集のために本や雑誌を読んだりしているので、知らない人が見たら、とても仕事をしているとは思わないでしょう。
妻や娘たちも気を使っているのか諦めているのか、有難いことに特に何も言いません。
時々、妻が出掛ける際に猫のエサやりと洗濯物の取り込みを頼んでくるくらいです。
さて、今日は、定年後の自由度について考えたいと思います。
死を目前にした人が挙げる5つの後悔
人生最期の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わり、たくさんの人を看取ってその方たちの最期の言葉をまとめた人がいます。
その方はオーストラリアのブロニー・ウェア(Bronnie Ware)さんという女性の作家です。
彼女の著書「死ぬ瞬間の5つの後悔(Top five regrets of the dying)」の中で、死を間近に控えた人たちが口にした後悔の中で多かったものを5つ挙げています。
1 自分に正直な人生を生きればよかった
2 働きすぎなければよかった
3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
4 友人と連絡をとりつづければよかった
5 もっと幸せを求めればよかった
ウェアさんは、最期の時まで人々は「幸福とは選択の問題だと気付かない」と指摘しています。
多くの人が、古いパターンの習慣にとらわれ、慣れ親しんだことに安住し、変化を嫌い「満ち足りている」と自らを偽っているといいます。
これを少し前の僕に当てはめると、定年になったけど再雇用ならやり慣れた仕事と親しんだ仲間と年金もらえるまで働けるし、まあ、それでいいか、となるわけです。
でも、僕は、今際の際に、果たして65歳まで会社で働いて満足だったと思うか?と自問自答してみました。
答えは「否」でした。
「お前は、定年後に自営で自由に仕事をしたいと思っていたのではないのか?」
「最期の時に後悔するぞ」とも僕の本心は答えました。
自由はゼロか100かではない
結局、僕は定年後、再雇用で1年過ぎたところで、上長に退職を申し出ました。自分自身は、さっさと辞めたかったのですが、上司と相談の上、義理を果たせるところまで引っ張って先月末で退職しました。
退職時に上司が「起業すんだよな」と聞くので、「そうだが、それだけでは食えないのでアルバイトもする」と返答すると「そうなんだ」と意外そうに返すので、
僕はその年下の上司に、
「辞めるのも起業するのも自由に働くため。でも、自由度は100かゼロの二者択一ではない。いまの自由度を20くらいだとしたら、アルバイトをやりながら自営業を伸ばすことは、自由度が70くらい。そして自営業で食っていけるようにあれば、100になるんだ。」
「だから辞めないで自由度20しかない状況を続けても死ぬまで自由度100にはなれないと思う。」
と、多少批判的な上司の反応に対し説明しました。
幸福とは選択の問題だと思う
定年退職時は、自由になる最大のチャンスだと思います。
制度的に守られているので、どんなにお世話になった会社や上司、同僚がいても、辞めると言えば、何のあと腐れもありません。
だから定年後にやりたいことがあれば、定年という機会にスパッと退職した方がいいと思います。
現在の僕に多少の後悔があるとすれば、2年前の定年時に辞めなかったことです。
つまり人生の幸福は、選択にあり、その選択は自分で自由に決めることだと思います。
僕には三人の子供がいますが、三人とも進学先、就職先は自分で決めています。
僕は、親が子供の幸福を願うなら、大小を問わず選択を自由にさせることが大事だと思います。
つまり自分で決めさせることです。
最後に
経済コラムニスト大江英樹氏の本を読んでいると、セミナーや講演会の後の意見交換会などで、「大江さんの言ってることわかるけど、俺には出来ないよ」「大江さんだから出来たんでしょ。」とか言われるそうです。大江さんはこんな人たちのこと「バットマン」と呼んでいます。
大江さんの話を聞いて、俺も起業したい、好きなことをやりたい、と思っても、「しかし」「でも」「とても・・・できない」など否定的なことをいう人ことです。
大江さんも以前の自分もそうだったと正直に言われています。
人生は悩んでなんぼだと思います。
もし選択に迷ったら、今際の際に後悔するかしないかを考えると自ずと答えは出てくると思います。