
8月に誕生日を迎え、いよいよアラカンに突入かしら?いやまだ今年は大丈夫かも…。
最近ペットボトルのキャップを力がなくて開けることが出来なかったり、10㎏のお米をスーパーから持ち帰る自信がなくて特売品を諦めたり、普段の生活に老いを感じることが増えました。私は人より元気、若い!大丈夫などという根拠のない自信はどこへやら。
そう、もはや確実に人生の終わりに向かって歩いていると感じています。人生100年の時代。ほんとうに元気でいられるのは何歳までなのか?そしてこのまま人生が終わってしまっていいのだろうか・・・。
これは飲み会の席で仲間が話していたのですが、アメリカの老人ホームで死ぬ間際の人たちに、「今までの人生で後悔したことは何ですか?」 という質問をするドキュメンタリー番組を見ていた時のこと。そこで多くの方の口から出たのが「挑戦しなかったこと!」だそうです。 たぶんこれは
・受け取るだけの、受け身の人生だったこと
・うだうだ悩んで迷ってばかりで、結局やめたこと
・つい言い訳してなかなか行動しなかったこと
ではないかと思うのです。
挑戦できなかったことといえば大袈裟かもしれませんが「行動できなかったこと」を悔やんで亡くなっていくのかもしれません・・・それは絶対に死んでも嫌だ!と思ったのです。
今ある現状は、過去の小さな積み重ねでできています。私はブログで人生を飛躍的に変えることができました。それは、どんな日もブログで発信し続けたからです。上手くいかなかった日や、プチ炎上した日でも、それでも発信し続けたから現在の仕事があると思います。もし、人生を変えたければ「行動」することは不可欠。ですが人は変化を嫌う生きものです。それは今と全く変わらなければ安全だと予測できるから。そして、変わることで悪い状況が起きたらどうしようと思ってしまう。いわゆる、失敗を恐れる気持ちですね。それに囚われると1歩も踏み出せないと思うのです。気持ちはとってもよくわかります。私も人前で話すのが嫌でずっと避けてきましたから。
では「失敗」とはなんなのか?と思うのです。随分前のことでもはや記憶も薄れていますが、なんの取柄もない、経済力もない平凡な主婦だった私が、夫と別居すると決めた時には周りから「無茶だ」「路頭に迷ったらどうする?」と大反対を受けました。けれど最近、振り返ってみて結婚には失敗しましたが、失った物は何もないな、と思ったのです。確かに大変な時期もありましたが、それで何かを奪われたり、無くしたりして悲しいことは何も起きなかったと気づいたのです。それは、やっぱり幸せに向けて「日々丁寧に暮らしを積み重ねた」からではないかと思うのです。そう考えると「失敗」は無くて在るのは「事実」だけ。そして「行動」することで未来はいかようにも変わると思うのです。
これが人生を変えるきっかけの「行動」であり、人生における考え方です。
人生100年、50代以降の「未来」を変えるにはやはり現在の行動や考え方を変える必要があると思います。 「あれをやっておけばよかった」と後悔するくらいだったら、エイっと「やる」の選択肢を取った方が良いに決まっていますよね。 それが、今の状況を変える可能性のあることなら「やる」「行動する」選択肢以外、ないのではないかと思うのです。これまでの人生で本当に後悔することは何ですか?
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