亡き人との“今の”関係はある?
先週10月2日は夫の6回目の命日でした。
前回、「記念日反応」という、大切な人を失ったことがある人なら、誰にでも起こりうる自然な反応のことを紹介しましたが、昨年くらいからでしょうか、私自身、命日の迎え方が大きく変わってきていることに気がつきました。
今年は出張で少し家を空けることになりました。
その中で、2つの宿泊施設に泊まったのですが、それらはまったく違う特徴を持ちながらも、経営的に大変興味深く、事業の立ち上げに関わる今の私には非常に勉強になった次第です。
こんな時、私はそれを「亡夫からの応援」または「亡夫からの指示」と受け取ります。
生前、流通ジャーナリストだった夫の取材に付き合ってあちこちに出かけ、その時々で彼より「お店の見方」「経営の見方」を教えられているからです。
今回は、なるほどこういうことね、と受け止めました。
こんな風に、日常的に亡くなった人を感じるのは、私だけなのでしょうか。
こういう話をするとオカルトと言われることもあるのですが、多くの遺族から、オカルトでもなんでもない自然な「亡き人との“今の話”」を伺うこともよくあります。
年忌法要は、遺族のためでもある
その命日より前に、七回忌法要を営みました。
七回忌は、その人が亡くなって6年目に行う法要のことです。
最近は、行わない人も増えているとか。
たしかに準備はそれなりに必要ですし、お金もかかるので気持ちはわかります。
でも、夫と死別して理解しましたが、法要とは、亡き人の冥福を祈るという仏教的な意味とは別に、私たち遺族のためにもあるものだと思います。
亡くなって、1年(=一周忌)、2年(=三回忌)、6年(=七回忌)、12年(=十三回忌)、16年(=十七回忌)……と、仏教の年忌法要は期間が定められています。
施主として法要を取り仕切った経験のある方ならわかると思いますが、一周忌と三回忌では、たった1年でも準備する自分の心持ちが少し違うでしょう。
もちろん、年を経ればいいというわけではなく、たとえば七回忌が一番精神的に辛かった…という人もいると思いますが。
それでも、大切な人が亡くなって「もう1年」「まだ6年」などという“区切り”は、流れていく&流されていく日常の時間の中では、大きな句読点になるはずです。
今回、4年ぶりにお会いする亡夫の友人たちを見て、思わず……「失礼ですが、みなさん、いい感じで歳をとられてますね〜」と言ってしまいました。
お一人から「そうだね、(写真の中の)金子は若いままなのに」と返され、笑い合える穏やかな時間を過ごしました。
みなさんも、過去の夫ではなく、今の夫を感じていたからだと思います。
香典とお布施、なかなか難しい……
法要といえば、香典のことも気になるでしょう。
そして、お寺にお渡しするお布施も。
多くのサイトで、金額の目安が示されており、「失礼のないように」と解説されています。
亡くなった人との関係性や地域でも金額は異なり、それがお金のことであるから余計に、みなさんがとても気を遣っていることもよくわかります。
ちなみに、お布施とは、お寺に「支払う」というものではありません。
お経などに対するサービス料金ではないのです。
お布施についても誤解があるなあと思いますが、でも一方で、金額でお寺と揉めてしまう話も残念ながら聞こえてきますね。
もちろん人によって感じ方は違うと思いますが、私自身遺族となり、お香典を頂戴する身となって感じたことがあります。
次回は、遺族として、受け取る立場からの香典について、書いてみたいと思います。